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令和時代にブログを書く理由とは?

ブログを書く理由とはなんだろうかとつくづく考えることがある。一世代前ならソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)という文化はなくネットに自分の意見を発信しようとなるとブログというコンテンツが重要となり、ネットに浸ってた人はみんなこぞってブログを書き始めていた。

ただソーシャル・ネットワーキング・サービスが沢山ある中でブログを残そうとする理由とはなんだろうか?

ツール

日誌

「ブログ」と言う言葉は 「 Web Log 」からきていて、Logの意味は「日誌」

日誌と言えば、子どものころに面倒くさいと思いながら書いていた学級日誌みたいなものだろう。それを個人の日記ではなく不特定多数の人に伝えるツールとして「ブログ」というのがうまれた。

日誌なので、本当の意味は「一日のできごとを書き留めてまとめる」のが正解であり、妄想を書き留める。未来のこと綴るというのは、本来は間違った使い方だったりもする。

News としての役割

ソーシャル・ネットワーキング・サービスと違ってブログにある役割とは、後世に長く残せるという利点なのかもしれない。流石に「新聞」 / 「書物」などの紙媒体の長期保管という概念には負けるが、「速達性」のあることを「後世に長く残す」というのはソーシャル・ネットワーキング・サービスにはできないことであり、情報を残すのであれば優位性のあるものだと感じる

討論・意見交換の場

多かれ少なかれ意見交換の場としてブログとして残っている面が多い。「政治家」のブログや「アイドル」のブログなどと自分から見て「格」があるものへ崇拝するものとして成り立っている一面もある。

紹介としての立場

「新作ラーメン」「美味しい野菜」 旬なものを伝えるときにブログを使う。ただこれは「テレビ」や「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」よりは劣ってしまうが為に重要度は少ないが、それとは違い、ブログというのは検索サイトからの流入を見込める点では他にない強みだったりもする。なので観光サイトなどでは未だに現役というのはあるのではないか?

要素

ブログを書いたことがある人なら解るであろう、一つの記事を書くのに1時間~2時間も時間をつかい前後の文脈を考えながら言葉を綴っていかなければならない。一つでも明後日の方向に話題がズレれば、家の柱が崩れるように崩壊をする。

そんな面倒くさい要素のあるブログを誰が好んで使うのであろうか、それならば「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」を使ったほうが「140文字」くらいで伝えることが出来るだろう。

しかしながら、それでもブログを使いたいと思う理由は 「記憶として残したい」 という一面が強いからではないのだろうか?

ソーシャル・ネットワーキング・サービスでの記憶

ソーシャル・ネットワーキング・サービスに呟き(Tweet)を残すだろうと思うが、次の日には忘れているか、もしくは情報がどんどんと流れてしまう。何日もその呟きを覚えているのは本当に稀で、その情報というのは一過性にしかならないということ、強いて言えば冷蔵庫に貼っておいたメモくらいにしかならないのがソーシャル・ネットワーキング・サービスでの記憶

ブログでの記憶

ブログというのは記事を書くのが非常に面倒くさい反面、文章を作るために「何度も読み返す」そして、新しく記事を書くためにちらっと「目を通す」さらに、過去に浸りたいがために過去記事を「読み返す」という、記憶するがための必要な要素が詰まっているために必要なことはブログで残したほうがよいのかもしれない。

「記憶として残したい」

ブログに限らず、人間というのは未来に言葉を残すがために「石板」「羊皮紙」「紙」「デジタル」と様々なものに文字や紋様として残してきた。それは「言葉」を他の人に届けるためのツールだったり、来世への言霊にもなりうるだろう。

数日・数年では成果はでないかもしれないが、もしかしたらあの記憶が・・・!?ということもあるかもしれない、そういう点では 「ブログを綴るというのは、自分への未来への投資」 として考えている。