設計図(ロジック)と詩(あおぞら)のあいだで。 ― 境界線に立つイラストレーターの生存戦略
昨晩 [ 狐狼な狐、春の芽とともに頭を出す ]という小説を書いた。これは、今まで隠していた精神を少しだけさらけ出した作品である。感の良い読者ならば、もしかしたら気づいたかもしれないが、現代の性格診断テストにおける表現でいうところの INFJ 型の特徴が色濃く反映されている。いわゆる[ ドアスラム ]と呼ばれる症状が出ていた。
今回は「設計図(ロジック)と詩(あおぞら)のあいだで。 ― 境界線に立つイラストレーターの生存戦略」というテーマで、自分の内面を探求しながら、イラストレーターとしての生存戦略について考察してみたい。
境界線に立つイラストレーター
詩(あおぞら)の力
性格診断で言うと、いわゆるINFJ型ぽさ。
物事を深く考えながらも、直接は表現せずに、詩的な表現や象徴を通じて伝える傾向がある。
前回、私が「世界線(あおぞら)」という言葉を使ったのも、まさにこの詩的な表現のひとつだったりする。
設計図(ロジック)の力
一方で、設計図(ロジック)も重要な役割を果たしている。
同じく性格診断で言うと、INTJ型ぽさ。
「狐」というキャラクターを通じての比喩的な表現は、論理的な思考と計画性を反映している。
また、「~だった。」「~だ。」という断定的な文体も、ロジカルな思考の表れであると言える。
イラストを描くときの葛藤
イラストを描くときはINTJ(論理的思考)らしさは全くない。そんなイラストを描いたら[ マルセル・デュシャン ]の「泉」のように「既存のものに価値を見出す」といった現代アートを追求することに専念するだろう。
それをしないということは、私の中に「詩(あおぞら)」の部分が強く存在しているからだろう。イラストを描くときは、まさにその「詩(あおぞら)」の部分が前面に出てくる
ところでINFJっぽいイラストって何だろうと思う。
そういえば童話作家で[ ショーン・タン ]がいたのを思い出した。彼の作品には文字がほとんどなく、イラストだけで深い物語性を表現している。まさに詩的な表現の極致と言える。
私のイラストも「文字はいらない」と思っている。

問いかけるのは「絵」そのものだ。
詩としての葛藤
ただ、文字に関して感情が強いかと言われると、そうでもない。逆に冷徹であり、自分を否定し、一歩引いて考えてしまう傾向がある。
もしも感情的に「詩」を表現しようとするとどうなるだろうか?
子供に向けるような 「きらきらとした星たちを見守るアンネ どの星々へ幸せを届けるのかしら?」 という感情的な表現になるかもしれない。
そしてロジックとしての葛藤
一方で、ロジック的な表現はどこで行われてるのか?というと、このウェブサイト全体がすべてプログラミング言語で編み目のように構築して自分のイラストやブログ記事を発信していること自体が、まさにロジック的な表現である。
基本的なイラストレーターはそんなことをしない。イラストを描いて、SNSに投稿して、ポートフォリオサイトを作るくらいだろう。そのポートフォリオサイトも、プログラミング言語が得意な人に委託したり、wordpressのような日記やブログサイトに投稿するだけであろう。
私みたいに、手書きでプログラミング言語を書いて、自分なりの見せ方でイラストを発信しているイラストレーターは非常に珍しい。
そこが、まさに「設計図(ロジック)」と「詩(あおぞら)」の境界線に立つイラストレーターとしての私の生存戦略であると言える。
まとめ
設計図(ロジック)と詩(あおぞら)のあいだで揺れ動く私の内面は、イラストレーターとしての独自の生存戦略を形成している。詩的な表現を通じて深い物語性を伝えつつ、ロジカルな思考と計画性を駆使して自己表現を行う。この二つの要素が融合することで、私は他のイラストレーターとは違う独自の道を歩んでるのかもしれない。
