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AI時代にて、人間はどう生きるべきなのか

数年前までのAIとは、教育的な立場のツールとして存在はしていたが、近年の生成AIの発展により、1 to 1 な教育の立場から、より広範囲な生成的な役割を担うようになってきた。しかしながら、AIが人間を超える立場に対して私は危険があると考えている。良いAIの使い方と悪いAIの使い方を私は討論したい。

全てをAIに任せる危険性

良いAIの使い方

例えば、今まで人間が行なってきた作業の中で、何度も同じことを繰り返すような作業。フォルダー分けはされているがごちゃごちゃになってしまったデーターの整理。そして、難題とされてきた問題を膨大な情報から探し解決策を見つけ出すことは良いAIの使い方である。

いわゆる人間のやりたくないことをAIに任せることにより、1日かかった実務作業が数分で終わることもあるかもしれない。

悪いAIの使い方

一方で、悪いAIの使い方としては、全てをAIに任せて制作を行なっている場合である。

最近、露見してきたのは 「ゲームをAIに作らせた」 という事例である。

プログラマーとして、面倒くさいコード処理を考えてもらったり、代替を出してもらう(生成)することは、VSCodeの Copilot のようなツールを愛用している人は、納得してもらえる内容であるが・・・全てをAIに任せてしまうと、自分自身はコードを盗用したと思ってなくても、もしもAIが学習したデータの中に、著作権で保護されたコードが含まれていた場合、知らず知らずのうちに盗用してしまう可能性があることを怯んでいる。

盗用した、それは人間の責任

大学に行った人ならば、レポートや論文を書く際に、参考文献を引用するだろう。

またもや論文で使った文章に参考文献が明記されてないときに大問題になる事例もあるだろう。

論文において、他者の文章を参考にして自論を展開することは、新たな論文を生み出す上で重要なことであるが、参考にした文章を明記しないことは盗用とみなされ、一回のミスであっても悪名になりうることを伝えている。

なぜAIは嫌われるのか?

仕事しているときに「自分は何でも出来ます!」と言ってくる人がいたら、あなたはどう思うだろうか?

そして「今まで自分が培ってきたスキルや経験が、その人に取って代わられる」としたら、あなたはどう思うだろうか?

あなたは嫉妬し、上司からは「あなたはクビだ!次から来なくてもいいよ」と言われるかもしれない。

それが、AIが嫌われる理由の一つであると私は考えている。

これらは、クリエイティブな分野でよく言われている要素であり、自分のイラストをAIにパクられる。AIにて別の要素に変換されてしまう。AIにてセンシティブな要素を組み込まされてしまうなどの事例があるからだ。

イラストレーターとしても「あなたのイラストをAIに書いてもらったよ」と言われたら、あなたはどう思うだろうか?

描く気力を失うだろうし、AIに嫌悪感を抱くだろう。

AI の選択を間違えるではない

AIを使うというのは、先生を呼ぶのと同じである。

良い先生を呼べば、あなたのスキルは向上するだろう。また先生の声を聞くことで新たな発見があるかもしれない。

ただ、あなたは受験の時に、先生に代理受験を頼んだりはしないだろう?

もしもバレた瞬間、「あなたは不正行為を行いました!」と報道されるだろう。

将来を決めることなのに「AIを利用してしまった」というのは、あなたの将来を台無しにする行為と同じであると私は考えている。

今後のAIとの付き合い方と推測

今では、若い世代もAIを使いこなし、器用にも答えを求めることを知っている。

海外では、テストにAIをつかって答えを求めたり、宿題にAIをつかって答えを求めて楽に済ませようとする人もいる。

それに関して、先生は怒り散らかしたり、AIの使用を禁止したりしているところもあるだろう。

それはデジタルの弊害でもあるし、それはまたテストという評価方法の限界でもあると私は考えている。

しかしながら、あなたはAIを使うにしても、使わないにしても・・・

スキルを向上するのはあなた自身であることを忘れてはいけない。

「AIを使えます!」と言っても「AIを使えました」にしかならない。

「野球選手になりたい!」と言っても「AIに野球をやらせました」では、あなたは野球選手にはなれない。

「歌手になりたい!」と言っても「AIに歌わせました」では、あなたは歌手にはなれない。

あくまでAIは補助的なツールであり、全てをAIに任したら、それはあなたが社長気取りで全てを他人に任せているのと同じであり、あなた自身が成長しないことを忘れてはいけない。

もしも、AIが消えてしまう日が来たら、あなたは一体どうするのだろうか?