作成日:

言葉の力と創造性~ゼロから生まれるもの~

はなはだ文字の入力というのは、キーボードで手打ちだと何かしら考えてしまうので思っていることが若干簡素化してしまう。

逆に言葉としてボイス入力で紡ごうとすると、それはそれでアイディアが浮かばなかったり言葉として出なかったりもする。

文字と言葉というのは単なるメモ道具ではなく「自分の思っていることを他人に伝えて意思疎通を行うもの」「伝承や要件を後世にも伝えるもの」としてあるべきであり独り言のようにメモを取らずに喋るのは、それは本当に良いことなのかと考えてしまう。もしもあなた自身が記憶力の覇者であり、凡てのことを覚えているのであればこのようなメモ道具など必要ではないが・・・。そのような人間など一握の砂程度しか存在していないし、世の中の人類というのは「早くて10秒、集中してても3分」が良いところだ。だから、「思いついたらメモをしろ」という文献が多いのだろう。

しかしながら、日常茶飯事の内容をメモするのは嫌いだ。

「薬のんだ」「ハンバーグ食べた」「睡眠取れた」

わたし自身が認知症のような記憶できない人ならまだしも、いつもやっていることを日記として残すのはそれはそれで平坦な人生を送っていると思ってしまう。もしも「薬を飲んだ」から始まる文章を書けるのか?「薬を飲んだから今日は体調良かった」とか呟くべきなのかと自問自答をしなければならなくなるので、私はこのような日記構成は苦手である。

どちらかというと「このような、言えない現象とはなにか?」のような博識ぶった言い方のほうが、色々と考察もできて好きである。

とはいいつつ、そのような議題・難題も毎日のように提唱はできないので、やはり日記を書くというのは難しいと言えるのだろう。

とはいえ「0」という数字を尊重してはならない。

「0」から「1」がうまれるからこそ新しいものができる。1というのは「文字としても」「言葉としても」情報を発するための矛先になるということ、その矛先がなければ何も成果も生まれないということだということを意識していたほうがよいだろう。