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先見の明はあるけども需要と供給はわからない

Twitter(X)で自論を求めようと呟いても理解されず人気にもならない、けれども自分が気にしてないところでは人気になる。人気になるには話題の情報に寄り添う力というものが必要だが自分には理解できないものである。

論理で詰めても

自分の中では性格診断 16Personalities の結果が好きで、自分の性格と兼ね合わせてお気持ちをTwitterなどで呟くことが多いのだが自分が呟いても 0 Fav と共感されることもなく、一部の界隈はチヤホヤされているのをみると納得できないことが多い。

ただ研究している教授のように自分がその話題に没頭をしているのか?と言われると「No」であり自分が呟いてる言葉に関しては「独り言」になってしまうことにはなるだろう。

需要と供給

逆に、お気持ちでやったことが話題になることもある。

これに至っては寝る前に芽兎めうの口癖「めう」と芽兎めうの画像を乗っけて「おやすみなさい」と呟いただけなのに29Fav (2023-11-01/現在) になったTweetであるが、おそらく人気になったのは「芽兎めう」というキャラクターが可愛くて「アイコン」にしたお陰で更に可愛さがUPしたという点と、「ひなビタ作品の絵を描く人が少ない」ので話題になったのではないのか?と考察している。

ただただ「需要と供給」に関しては理解できない。

話題に疎いといえばいいのか、それとも話題に乗りたくないと言えばいいのか「需要」のために「供給」をし続けるというのは自分自身ではできないのである。

こだわりと本能

よくある事例としては「iPhoneを買う人とAndroidを買う人」みたいな感じで討論されることが多いがいろんな携帯企業がある中でも、コストが高いiPhoneを使う理由とは?とか、なぜAndroidを買うのかとかと、世の中では「変なこだわりを持つ」ことが多いのである。

iPhoneを買う人に至っては「楽」だからとか、iPhoneを持つことが「ファッション」の一因となってるとか様々だが、人間は欲望のために「こだわったり」「本能のまま」に生活しているのであろうと推測している。

欲しい物があるからこそ需要がうまれる

和食を食べたいのに中華を出されても食べる気はしない。

餃子出されてるのにメインはスパゲッティのような組み合わせも人を選ぶだろう。

実際それと同じで「欲しい物があるからこそ需要がうまれる」のである。

ただ、「シスター服を着たキャラクターが巫女服であるのを見てみたい」のような一種のフェチズムの要素もあるので一概に「需要」が既存のものからうまれたものではないのも面白いところなのかもしれない。

需要と供給とは

結局「需要と供給」とは「共感と認知」なのかもしれない。共感があれば需要があるということなのだと私は思う